西洋から来たベストセラー本も読んで、最先端の科学や技術の本も読んでセミナーも勉強会にも参加したけれど……どうにも悩みが解決しない!!!
そんな時に、最後にたどり着くのが「東洋哲学」なのかもしれない、と感じるこの頃。
ここに来て下さったあなたも、もしかすると、そうですか?
これまでは「一番役に立たないジャンル」と笑われたり心配されたりしてきた哲学というジャンルに、コロナ禍で急にスポットが当たるようになったのも、そういうことなのではと思うようになりました。
とあるブログ記事をきっかけに「東洋哲学ブーム」について考えてみたことを、書いてみます。
東哲女のレポートでゴザイマス。

やっぱり注目されている「東洋哲学」~しんめいPさんのnote
それは、偶然目に留まったツイートがきっかけでした。
【東洋哲学本50冊よんだら「本当の自分」とかどうでもよくなった話】
そこには、多くの共感の声が寄せられていました。
「東洋哲学」って、こんなに共感されるものだっけ!?
東洋哲学専修に進んだ学生時代から、なかなかわかってもらえない日々を送っていたので、新鮮な驚きとワクワクでした。
東洋哲学は、悩みは解決してくれない~白黒ハッキリしない世界
東洋哲学の世界とは、どんなもの?
白黒つかない(つけない)グレーの世界を、例えば「道」と名付けて、白黒ハッキリさせないまま向き合っていく。
「悩みがあるんです」と相談すると「悩みというものも含めて、あなたですから」というような視点に、救われたようなモヤモヤするような……そんな世界がありました。
でも、これが心地いい。
「だーかーらー、白黒ハッキリさせろよ! オラーッ!!」
と言う人はいなくて、グレーの中を漂いつつ悩み向き合っていくのが、東洋哲学のクラスの大好きなところでした。(周囲からは変人・気の毒な人扱いでしたが、しあわせでした)
私が東洋哲学を選んだ当時も、十代なりに人生最大の悩みを抱えていました。
ある講義の後、教室を出るタイミングを逸してしまい、たまたま始まってしまった東洋哲学専修の説明会まで聞くことになったのが、私と東哲との最初の出合い。
その時に心に響く感覚があり「ココにする!」と決めたのが、東哲女(とうてつおんな)としての人生のはじまりでした。
早稲田へ行くまでの道のりは、こちらをどうぞ。

何を求めて東洋哲学にたどり着いているのか?~答えのない現代に求められているものとは?
白黒ハッキリしないのに、なぜ悩んだ人は最後に東洋哲学にたどり着くことが多いのか?
あくまでも私の感覚なのですが。
それは……悩みを受け止めてくれるから、そして視野を広げてくれるからではないかと思っています。
「あなたの中にも仏性はある(あなたも、仏のタネを持っている:紀々解釈)」なんて……すごいフラットな感覚ですよね!
西洋の「悩める子羊」という位置づけとの違いに驚きました。
解決はしてくれないけれど、一緒に悩みに向き合ってくれる。
答えはくれないけれど、問いを与えてくれる。
東洋哲学は、そんな「聞き上手な友だち」や「話すとホッとするママ」みたいな感じではないでしょうか。
答えが見えない現代。
ある意味、多くの人は答えを求めていないのだと思います。
自分で答えを探す時の「心強さ」のようなものを求めている時に、東洋哲学がフィットした、ということなのではと思うのです。
結論は最初に、というルールに反してみる~東哲女の決意
ブログや動画についての様々なアドバイスを聞くと「まずは結論を先に」という定番がありました。
みんなは「答え」を求めているから、それを最初に出すことが効果的なのだそうです。
納得はしましたが、どう考えてみても東哲女の私には難しいことでした。
なぜ?
結論がないのが哲学だから、です。
そのハッキリしない道のりを受け入れあきらめない楽しみを味わっていくのが、東洋哲学。
答えを与えてしまうのは、教えているのであって「哲学する」ことではないのです。
仕方ないよね、哲学なんだから。
トレンドにはのれなくても、哲学の道で行こう。
というわけで、これからも結論なきバラエティ豊かなグレーの世界を楽しく広げていきたいと思います。
この東洋哲学的な世界の中に、あなたの転機のきっかけを見つけてもらえたら、とても幸せです。
あした、転機になぁれ!
