遅ればせながら「鬼滅の刃」を見ました。
何かがブームになった時、「どうしてそれが人気なのか?」を知りたくて見るようにしているのですが、今回は特に興味深かったです。
なんと、東洋哲学の世界感をあちこちに感じたから。
アニメにはまったく詳しくない私ですが、ワクワクし過ぎたので……東哲女の視点でレポートします!
「鬼滅の刃」が東洋哲学的であるポイント~混沌とした迷い
「鬼滅の刃」は、鬼と鬼殺隊(きさつたい)の対決という図式で描かれています。
正義の味方 VS 悪い敵
西洋のヒーロー物語だと、そういうキッパリとした描かれ方が主流ですが、「鬼滅の刃」はちょっとちがっていました。
鬼は「もともとは人間で、鬼になってしまった存在」で、ここからして白黒がハッキリしません。
倒されてしまった鬼も、最後に自分の人生を振り返り、本当の気持ちや後悔の念を浮かべます。
行動は悪だったけれど、気持ちは悪一色ではない。
今は悪になってしまったけれど、もともとは悪ではなかった。
そんな複雑な「混沌」と「迷い」があちこちにちりばめられています。
なんと懐かしき東洋哲学の世界観!!!!!
答えがハッキリしないモヤモヤが残る感覚は、東洋哲学の味わい深さでした。
「やった~、悪い鬼が死んだぞ~!イェーイ!!!」ではないのです。
何が「悪」なのか?~コロナと鬼滅の刃
そんな中で思ったことが、コロナのこと。
鬼は、もともとは人間だった。
「鬼滅の刃」を見ながら、なぜ鬼が生まれてしまったのか? ということを、答えなきままにずっと問われている気がしました。
鬼が悪いのではなく(起こしてしまったことは悪いけれど)、鬼を生んでしまう背景が問題だった……そう考えた時に「コロナも同じでは?」と思ったのでした。
コロナが悪いのではない(厄介ではあるけれど)。
この環境を作った私にも責任はあるし、ストレスフルな状況を放っておいて免疫が下がったまま仕事を優先したよね……自分の身体の声にもっと気を配るべきだったのに、と反省もしました。
コロナは、人を攻撃しようと思っているのではなく、ただ「生きようとしている」だけ。
それはきっと、私たちも同じなはず。
今こそ、しっかり迷おう!~「道」というキーワード
withコロナ・afterコロナの時代のキーワードのひとつは「混沌」かも知れない。
「鬼滅の刃」を見て、そんなことを思いました。
「混沌」を受け入れる・「混沌」と向き合う。
東洋哲学の世界では、この混沌としたものに名前をつけて「道」というものが生まれたことを考えると、「道」がキーワードとも言えます。
この混沌とした「モヤモヤ」もつきまとうこの物語が、これだけ人気だということは、私にとっては心強さでもありました。
そして「東洋哲学がジワッと注目されている」流れにもつながります。
呼吸を整えて、耳を澄まして、全身で見極める。
これだよね~!!!
武道好きで、刃物研ぎが趣味の東哲女としては、この上ないワクワク。
このワクワク全開で、これからも「鬼滅の刃」レポートお届します。
あきれずに、いえ、あきれつつお付き合い頂けたら幸いでゴザイマス。
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