「鬼滅の刃」のブームは、東哲女(とうてつおんな)としてはとても心強さを感じます。
だって、それまで東洋哲学という世界は地味で「何の役にも立たない」と言われることもしばしば……切ない出来事も多かったので、あまり熱く語らないようにしてきたのでした。
ところが、「鬼滅の刃」を見てビックリ!
東洋哲学の世界ココにあり!と言えるくらいの世界観だったのです。(私だけかもしれませんが)
というわけで、今日もお届けします。


答えなきコロナな時代を生き抜くヒント~考えることの大切さ
この前のブログ記事では「考えろ」というキーワードについて書きました。
考えて動く、動きながら考えることの大切さが「鬼滅の刃」では描かれています。
ついつい答えを求めて思考停止しがちな現代に、「そーじゃないんだ!!」と叫んでくれているような、そんな場面があちこちにちりばめれていました。

ただ動くだけなら、量をこなすだけ。
質を高めるには「より良く」「どうしたら?」ということを、いつも考えながら動くことは大事で、それはピアノもあらゆる学びにも共通することでした。
「~~時間練習したぞ!」というだけでは、残念な練習。
考えながら動く力を身に着けてほしい。
これは、私が担当してきた企業研修でもリクエストの多いものでした。

「考えるな!」のナゾ~逆もまたしかり
ところが別の場面で、主人公はこう叫びました。
「考えるな!」
どういうこと???
それは……「余計なことを」考えるな、ということでした。(と私は解釈しました)
まだ起こっていないことへの不安や雑念にとらわれて、動きが止まったりぶれたりしてしまうことに「NO!」と叫んでいたのです。
考えていて動きが止まってしまっては、何も始まらない。
鬼殺隊の場合は、それは命の危険につながることでもあります。
「考えろ!」と「考えるな!」。
まったく逆のように思えますが、実はそうではありませんでした。
「考」と「行」という二つの「コウ」をバランスよくイキイキと発揮することが大事。
そういうことだと、私は解釈してスッキリしました。
東洋哲学の世界でも、パッと見は反対のように見えて実はそうつながっていたという表現は多く、そんなナゾめいたところも楽しさのひとつ。
あなたの小さな転機のヒントになれたらしあわせです。
あした、転機になぁれ!
