沖縄ソニー坊やのインスタグラムをはじめてから、小さな変化を感じています。
それは……「時代の変化」。
コロナ禍がきっかけで、より「やさしさ」が求められているような気がするのです。
ソニー坊やの周りにふしぎに広がる「やさしさ」の輪
文化財に落書きされるようなご時世なのに、なぜか、見知らぬ人がキレイにペンキを塗って、季節ごとに着せ替えて、そしてなんと……地域の方々が花まで植えてくれているという現象が起こっています。
それが、沖縄ソニー坊や。
私の祖父がのこした、ファンとナゾの多い交通安全のコンクリート像です。
祖父の独特の生き方を知りたくて調べてい途中に出合った(出合ってしまった)ソニー坊や。
それは、思いもよらない展開になりました。
「どうしてこんなに、やさしい世界があるのだろう?」
はじめは、感激を通り越し衝撃でした。
ソニー坊やは、ひとことも話せません。
動くことも、手を振ることもできません。
なのに、通り過ぎる人が坊やに挨拶をしたり、着せ替えてくれたり、それを見た人が写真を撮って広めてくれたり、そして、自然と地域の方が花を植えてくれている地域もあります。
私は、これまでにいろんな「発信」をしてきました。
仕事のつながりもあり、いわゆるPRのために頑張ってきたこともあります。
でも、なぜかそれより反響が大きいのが……沖縄ソニー坊やとピアノのことでした。
特に何かを伝えるということはなく、ただそこにいるソニー坊やと、そこにあるエピソードを、少しずつお届けする。
ちょっと力の入っていない発信だったのですが、なぜか反響があるのです。
「訴えかけないことがいいんじゃない?」
ふと、坊やとピアノに言われた気がしました。
「訴えかけなくても、ちゃんとわかる人には伝わるからだいじょうぶだよ」
ピアノと坊やが重なって見えました
(あ、実際には見えませんので、あしからず)
いつ・どこの・だれが建てたのかも知られていなくても、その向こうにある祖父の想いはソニー坊やからファンの方々に自然と届いている気がします。
電波堂劇場のピアノがここにきた由来を知らなくても、弾いてくれたみなさんが「このピアノは何かがちがう」と思って下さっている様子からは、やっぱり何かが届いていると感じるのです。
余計な解説はいらないのかも。
私は、これまでになかなか時間がつくれずお届けできなかったエピソードを、とにかくお伝えしよう。
いま、そんな風に思っています。
コロナ禍になってから、より一層求められているのが、きっと「やさしさ」。
やさしさがほしい。
やさしくなりたい。
どちらもあるような気がします。
見た人がやさしい気持ちになれる、ソニー坊や。
やさしい人たちが集まってくれる、ソニー坊や。
いま、あらためてソニー坊やに静かな人気が集まっている理由は、そのあたりにあるのでは?
そしてもうひとつは、沖縄の戦後の「復興」に向けての流れから生まれたというところにも。
引きつづき、私なりに哲学してみたいと思っています。
ソニー坊やを愛して下さるみなさんへ、心いっぱいの感謝を込めて。
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