人には「与えられた何か」があるものなのかもしれない……40歳になった頃から、そう思うようになりました。
あなたは、そんなことありませんか?
この人に出会って、この道を行く。
それは、定めだと言う人もいれば「自分で決めて生まれてきた」という説もあったりでハッキリはわからないし、私は見えないものは見えないけれど「自分が決めたものではない何か」があるのは確かだと感じています。
そういえば友人が「ずっとしまったままになっていた本が、突然、棚から落っこちてきて、それが今の自分にちょうどピッタリの一冊だったから驚いた」と言っていたことも思い出しました。
広島の原爆の日、広島出身で元テレビアナウンサーの久保田智子さんが新しく選んだ道についての記事を読んで、やっぱり40代ってそういう時期なのかもしれないと感じました。
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寄り添う通訳であり、メディアである私~元TBSアナの久保田智子さんが被爆体験の伝承者となったわけ
今日は、40代の生き方を考えるそんな日々に出会ったことを書いてみます。
泣きながらピアノを弾いた日のこと
もう何年か前の出来事です。
出張ついでに、県外に住む仲良しの親戚のおばぁちゃん・おじいちゃんの家に遊びに行きました。
おばぁちゃんは沖縄出身で、妹さんをひめゆり学徒隊で失っています。
90歳を超えて、身体も思うように動かないことでかなり弱気になっていると聞いていました。
もしかすると、これが最後かもしれない。
そんな思いを抱えながら向かいました。
お話をしていても、どうにも後ろ向きな話になってしまい、ご家族も「ごめんね」という雰囲気に。
そんな時、ふと古いアップライトピアノが目に入りました。
古いピアノの大きなチカラ~「えんどうの花」
「ピアノ、弾いてもいいですか?」
「古いからどうかなぁ」というおじいちゃんの言葉をよそに、私はピアノに挨拶をして、早速弾いてみました。
ポロポロポロと、ひと通り音を出してみて状況を確認。(これは定番です)
お医者さんが、体温と血圧を測って「あ~」と喉を見てくれるのと同じ感じです。
もしも音が出ない鍵盤があったら、そこは覚えておいて使わない演奏をすれば問題ありません。(ビックリされますが)
そのまま「えんどうの花」を弾いてみました。
すると、おばぁちゃんが小さく歌ってくれている声が聞こえてきました。
振り返るとやめてしまいそうだったので、背中を向けたまま弾きました。
「えんどうの花」は、あの世代にとって想い出いっぱいの曲で、祖母も大好きな曲。
歌詞に出てくる「妹おぶって暮方に……」の妹さんと同級生だったそうです。
おばぁちゃんの頭の中に、色んな想い出がめぐっているのが伝わってきた気がしました。
回想法。
これは、祖母の時に学んで実践していたことでした。

涙がとまらない「椰子の実」
祖母の介護のお蔭で、私はすっかり童謡唱歌と沖縄の音楽にも詳しくなっていました。
祖母が好きだった「椰子の実」を弾いた時のことです。
大きな泣き声が聞こえて思わず振り返り、弾き続けるべきかどうか迷いましたが、ひとまず弾いてみることにしました。
弾き終わると、おばぁちゃんは……涙は止まり、一呼吸ついて「ごめんね、紀子ちゃん。もう一回弾いてくれる?」
そしてもう一度弾くと、やっぱり同じところで大きな泣き声が。
弾き終わると、なんだか表情も柔らかく血色も良くなっていました。
コンサートホールだと、こうはいきません。
なんだか「生きる」感覚ととても近くにいられたことが、うれしく幸せでした。
私が天使になれた日~そして天使を応援すると決めた日
後日、ご家族からお手紙が届きました。
「我が家に天使が来てくれたようでした」
この一文から、私は自分がピアノと一緒に目指すべきところが見えた気がしました。
ホールの素晴らしいピアノも素敵だけれど、私は、もっと日常の中で「生きる」現場の近くで届けるピアノ・音楽を目指したい。
おばぁちゃんの家の古いアップライトピアノが教えてくれました。
琉球・沖縄の音楽をアレンジした「やさしいピアノ曲」ができたら、懐かしい曲を、それぞれが大切な人のところのピアノで弾くことができて……笑ったり泣いたりしながら一緒に歌うこともできたら、幸せが生まれるのでは?
そんなことを思って、ワクワクしました。
宗教とかスピリチュアルとは関係なく、この日から私は、天使になりたいと思うようになりました。
そして、誰かが誰かの天使になれる「やさしいピアノ曲」をつくれたらと思っています。
