電波堂劇場は、グランドピアノのあるハコです。
そう言ってしまえば、沖縄県内にいくつもある「ピアノのあるハコのひとつ」。
でも、そんなハコでは、本当にたくさんのドラマのような出来事があります。
ピアノにまつわる人生は、ドラマティック。
「本を書いたら?」と言われるほどです。
今日は、そんな電波堂劇場で出会ったピアノ好きさんの人生を、ご紹介させて下さい。
亡き人を想うカタチ~寄り添うピアノ
もう何年か前のことです。
一人の女性から、ピアノのご予約を頂きました。
私は、基本的には必要なこと以外は、こちらから聞かないようにしています。
特に、初めての方が来て下さった時には、まずはピアノを弾いてもらうことを大事にしたいので、簡単なご挨拶と会場の説明をして、ピアノにバトンタッチします。
その日も、そのようにして裏の事務所で仕事をしていました。
事務所では、ピアノの音色が聴こえるのですが、この時のピアノはちょっと不思議な感じがしました。
特定の曲を練習する感じでもなく……「ポロン ポロロン」と、まるで、ポツリポツリと語る無口な人のような音色が聴こえてきたのです。
もしかすると、あまりピアノを弾いたことのない人なのかも。
そんな気もしました。
だとすると、どうしてわざわざグランドピアノを弾きに来てくれたんだろう?
終わる頃、ホールに出てお声をかけました。
すると、来た時よりスッキリとした表情で、女性が話しかけてくれました。
「ありがとうございました。今日は、母の命日だったので、ピアノを弾きに来ました。私は、~~~の娘です。」
私が、学生時代にとてもお世話になった先生の娘さんでした。
「母はいつも、あなたのことをうれしそうに話してくれていました。だからきっと、喜んでくれていると思います」
先生が結んで下さったご縁に驚きと感激で、すぐには言葉が見つけられず……
「来て下さって、本当にありがとうございました」
出てきたのは、そんなありきたりな言葉になってしまいました。
あの不思議なピアノの音色は、命日の対話だったのでした。
亡き人を想うピアノ……ピアノは、どんな気持ちだったのかな?
きっと、ぜんぶ知っていたのだろうなぁと思いました。
あなたがその人を想う時に、その人はそこにいるから。
舞台に立つ仕事をしていると、どうしても法事にも参加できないことがたびたびあり、そんな私に、母や祖母がいつもそう言ってくれました。
電波堂劇場は教会やお寺ではありませんが、ピアノという存在は、もしかすると「何かに祈る時に寄り添う存在」にもなれるのかもしれません。
娘さんをお見送りしてから、私も、先生を想ってピアノを弾きました。
「先生、娘さんにお会いできましたよ」
ちょうど、電波堂劇場を残した祖父と、電波堂劇場の誕生日と同じ時期。
毎年思い出す、大切なエピソードです。
