今年も、慰霊の日。
ちょっと長くなってしまいましたが、お時間あるときに、よろしければ。
つい先日、お久しぶりのSさんから、メッセージ頂きました。
沖縄こどもの国のブログに、慰霊の日に向けた「首里高校染織デザイン科の卒業制作の紅型」のことを書きました、とのことで。
実は、沖縄こどもの国とあの紅型のご縁結びをさせてもらいました。
いえ、動物たちの紅型が私のことを呼んでくれたのではと思っています。(まったく霊感はないけれど)

ちょうど首里高校の関係者と沖縄こどもの国の関係者のみなさんをおつなぎした頃は、祖母の看取りの日々の真っただ中で、心身ともにかなりハードでした。
だからこそ、この時期になると祖母のことも思い出し、もっと特別な日になりました。
戦争のことをほとんど話してくれなかった祖父母。
でも私は、祖父の大きな傷あとのことは知っていました。
祖母は、ひめゆり部隊にいた妹を亡くしています。
もう一人、ひめゆり部隊にいて無事に帰った妹おばさんは「艦砲の喰ぇーぬくさー(食べ残し)なのよ」といつも言っていました。
本当に大変なことは、言葉にできないこともある。
でも、ちゃんと伝わる。
語らないままあの世にいってしまったみなさんに、教えてもらったことです。
私がそのバトンを受け継ぐ番になった今……さて、何ができるのかな?と考えています。
答えはまだ見つからないけれど。
まずは近いうちに、祖母たちが大好きだった「えんどうの花」のアレンジを仕上げたいと思っています。
そうそう。
沖縄こどもの国のあの大きな紅型の兄弟が、実は電波堂劇場にいるのです。
御礼にと寄贈して下さいました。
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慰霊の日にこっそりうたっていた「願いうた」も、あれから少しずつ輪が広がってきました。
是非、みなさんの「願いうた」をゆっくりお聴きください。
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誰かのために・自分自身のために……うたってもらえるように、歌詞と伴奏音源を準備中です。
さいごに。
祖母が教えてくれた大好きなウチナーグチ「なんくるないさ」ならぬ「なんくるすさ!」も。