「一力サンタの会」について
百人力にはなれない私が「一人ひとりの小さな一力(いちりき)を集めたら百人力になるのでは?」とひらめき、スタートしました。
これまで出会い関わってくれた皆さんへ、心いっぱいの感謝を込めて。
音声版も、どうぞ ▼

はじまりは、東日本大震災がきっかけでした
東日本大震災のあと、私は「離れた沖縄から何かできることはないか」と思っていたところに、Facebookから参加できる仕組みで動くボランティア団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト(当時)」に出会い「心のケア班」に参加しました。
といっても、仕事と掛け持ちながら出来ることはとても少なく
・Twitterに前向きな言葉をつぶやく
・メールでの相談を受ける(電話相談は対応が難しい状況だったので)
・WEBミーティングへの参加
このくらいでした。
心苦しさに押しつぶされそうになったこと
WEBミーティングでは、被災地に冬の家電を運び支援するアクティブなメンバーの報告を聞かせてもらい、自分の貢献の小ささに申し訳ない気持ちがふくらんでしまいました。
被災地の状況は、まだまだ「物資やマンパワー」が必要な時期だったのと、東北の方々は「知らない人へ、しかもネットを使って相談をする」ということへのハードルが高いということも知りました。
被災地の方々の気持ちの支えになりたかった私でしたが、自分の気持ちすら支えられない状況になってしまい、同じチームで友だちになったMちゃんに「何もできずに申し訳ないから、やめようかと思っている」と打ち明けました。
すると…
そんなこと言わないで。
紀々ちゃんがいつも「沖縄から、紀々です」って言ってくれるだけでも、あったかい気持ちになってみんなうれしいんだから。
という言葉をくれました。
沖縄からも「できること」
Mちゃんの言葉でハッとしました。
みんなのようには動けなくても、「沖縄から、紀々です」と言うだけよりは、もっとできることがあるのでは?
気持ちと発想が切り替わった私は、自分の現在地から考えてみることにしました。
「ひとりで百人力」は目指さない~「キーカバー」が生まれるまで
レザークラフトをやっている母とも話し合い、始めることにしたのが、革のキーカバーづくりです。
私たちが現地に足を運べない分、この売上金を、せめて交通費や活動のために役立ててもらえたらと。
「忘れないでほしい」という被災地の方々の想いに応えるには?
そう考えた時に…
「見るたびに思い出せる」アイテム
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「いつも目にする」アイテム
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「たくさん作れて、作りやすく、買いやすい」アイテム
として浮かんだのが、本革のキーカバーでした。
革の端材を提供してもらい、1個300円で販売して材料費を引いた200円をカンパにして被災地支援に役立ててもらうことにしました。
関わってくれる人をふやそう!
ひとりが深く想うということも素晴らしいけれど、いまは「想っている人がたくさんいる」ということが大事なのでは?
そう思ったので、なるべくたくさんの方の「一力」をお借りできないかと動き出しました。
素材となる革は「日本皮革技術協会」にお願いしたところ、たくさんご提供頂きました。
キーカバーを置かせてくれるお店
まとめて購入して下さる方々
プレゼントなどにご指名下さる方
一緒に作ってくれる方
などなど、たくさんの「一力」が集まってくれました。
「ひとりひとりの小さな力を集めて百人力へ!」と合言葉に、必要な人へ何かを届けられるサンタクロースになれたらという願いを込めて…
「一力サンタの会」と名前をつけました。
お金を誰に託すのか?~「チームエース」へのバトン
カンパを託す先は、決まっていました。
「ふんばろう」のプロジェクトで出会った(といっても実際にはお会いしたことはありません)、現地に足繫く通い活動されていた「チームエース」の上山大介さん。
想いだけでなく、いま被災地が一番必要とされている専門技術に加え、機材も、経験も持っている方だと感じたからです。
ガソリン代に使ってほしいと思っていたのですが、上山さんは「すべて被災地の方のために使わせてもらいます」とのことで、お任せすることにしました。
被災地に届いた「一力」
上山さんのお蔭で、遠く離れた沖縄からのカンパは被災地に役立てて頂くことができました。
ひとつめは、
被災地の女性のみなさんが立ち上げたハンドメイドのお店「おだってばりぃで」の看板。
「ハンドメイドつながり」とのことで、上山さんが選んで設置してくれました。この心配りに感激でした。
(上山さんの本業は看板屋さんだそうです)
もうひとつは、
東松島の野蒜駅、亀岡公民館、宮戸島の月浜へのイルミネーション。
明かりがなく暗かったところだったので「明るくなった」ととても喜ばれたというメッセージと、そこに添えられた写真を見て、私の気持ちにもやっと明かりがついた気がして、涙が出そうになったのを覚えています。
小さい頃から「サンタクロースの弟子になりたい」と思っていた私が、被災地にクリスマスのイルミネーションをお届けできたことは、本当にうれしかったです。

「届いたことが見える関係」の大切さとありがたさも、この時に実感しました。
小さなラジオのはじまり~モノからココロへ
こうしてチームエースより「見えるサポート」を届けて頂くうちに、状況は少しずつ変化し、必要とされているものも「モノからココロへ」と移っていることを感じました。
特に、サポートする側の方々にも「支え」が必要になっていることがわかりました。
そこで上山さんとご相談して、一力サンタの会キーカバー売上分の一部を活用し「ふんばろう絆プロジェクト」の活動のひとつとしてWEBラジオを作ることにしました。
那覇のコミュニティFMに「一力」の提供を頂いて、2014年1月にスタートした「ラジオdeエール」。
東北の方々の心をサポートするボランティア仲間にエールを込めてお届けする…60秒のショートメッセージです。

一緒にメッセージを届けて下さる「一力サンタ」には、やはり「ふんばろう」メンバーのカウンセラー:八木律子さんも加わって下さいました。
八木さんのやさしい声とメッセージに、私もあたたかいエールをもらっていました。
必要な「支え」は状況によって変化するということ、支える人にも「支え」が必要であることも、この時に学びました。


10年の一区切り
キーカバーの販売個数は「約1200個」、約24万円の売り上げとなりました。
ラジオ局の体制が大きく変わることになったこともあり、一力サンタの会もいったん活動を「一区切り」することにしました。
お預かりしていたカンパをどうするか考えていた時に、熊本の災害のニュースがあり、チームエースが現地へ冬物家電を届ける活動を行っていることを知り、上山さんに役立てて頂くことに決めました。
こうして約8万円のカンパをチームエースへ託し、通帳の残高もゼロに。
10年の活動はいったん終了したのでした。
2020年 11月

「願いうた」のこと
実は「願いうた」は、WEBラジオが始まる前に生まれていました。

では、なぜラジオのテーマソングは別の曲(「世界一たよりない応援歌」)にしたのか?
それは「まだ被災された方にとって受け入れ難いうたなのではないか」と思ったからです。
私自身にも、本当に自分がうたってもいいのか迷いもありました。
あれから10年ちょっとたった今、こうして振り返ってみて…「この10年の試行錯誤は大事で必要なことだったのだ」と感じます。
出会ってくれたみなさん、貴重な「一力」を提供して下さったみなさん、そして、あのときの私にも心から「ありがとう」の気持ちです。
(2024年の再開につづく)
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